2020年06月30日

スロベニアとクロアチアの旅 その1(ヘルシンキ空港からブレッド湖へ)

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ヘルシンキ空港で

 今回はスロベニア・クロアチアを旅することに。
 今回のツアーの参加者は6名。私たちは関空から出発、ヘルシンキ経由でリュブリアナ空港へ。そこからはバスで憧れのブレッド湖へ。他の4名とツアー添乗員は羽田発。リュブリアナへ向かう飛行機の中でご対面となる予定だ。
 ヘルシンキで乗り継ぎだが、2時間以上も前に到着し地ビールを飲みながら休日初日を楽しんでいた。今回は、飛行機の旅を、より、さらにくつろぎながら楽しもうと機内用のスウェットを新調した。あまりにも快適なので、スウェットのままヘルシンキ空港で過ごすことに。

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 そろそろ出発ゲートへ向かおうと歩き始めたが、ヘルシンキ空港は思いのほか広い。5年ほど前にも来たが、「これほど広かったかな〜?」と思いながら、やっとゲートに着いたのは出発時間の4分前だった。ゲートの前には、それほど大きくもないオネーサンが仁王立ち。「あんた達は、今まで何をしていたんだ!もう飛行機の扉は閉めたから乗せられないよ!」というではないか。「まだ飛行機はそこにいるじゃないか!乗せてくれろ!まだ4分前じゃないか!」「あんたら、アナウンスもしたのに、今頃何を言ってるの!」「いやいや、アナウンスなんて聞こえなかったよ!」と押し問答をしているうちに飛行機はゆっくりとボーディングブリッジを離れていくではないか!!!「どうすればいいんだ!何とかしてくれよ!」というと、「ここをまっすぐ行けば、Trasfer serviceがあるから」とだけ教えてくれた。
 Transfer serviceのデスクにはちょっと怖そうなおばさんが。眼鏡の奥からにらみつけて言うには、「あんたら、なんで乗り継げなかったの〜?」。「いや〜、4分前に行ってたんだけど乗せてくれなかったんです。次の便でリュブリアナへ行きたいんだけど、、、」「リュブリアナは田舎の空港だから、次の便は明後日だよ」だって!「え〜、え〜っ!?」「ほかの航空会社でもいいから、どこの空港でもいいから、どうにか今日中にブレッド湖に行きたいんです!「ベネチアから陸路で250 Kmあるけど、行けないことはないわね〜。でも、ベネチア行は20分前に出たわ」
 小一時間もパソコンと睨めっこした後、「明日の夕方発、コペンハーゲン経由のリュブリアナ行きが取れたわよ!」とチケットを渡されたのであった。他のカウンターで、「プライベートジェットをリュブリアナまで飛ばしてほしいんですけど」と頼んでみたが、「フィンエアーにはそんなものはない」とにべもなかった。

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 それではと、ホテルを探すことに。空港のすぐ裏手にヒルトンホテルがあるという。ホテルのフロントの前に立った途端に満室だと断られた。ヒルトンメンバーズカードを見せてもよかったのだが、この日はそんな元気も出なかった。どうせ、灰色のジャージーを着た東洋人は相手にもしてもらえないのである。「バカにしやがって!」「これでもロロ・ピアーナのシルク・カシミアなんだけど、、、。」とつぶやくのが精いっぱい。
 ヒルトンホテルから歩いて5分ほどのところにフィンエアー傘下のスカンディックホテルがある。三流ホテルだが、部屋が空いていて胸をなでおろした。チェックインがおわり、フロントカウンターの横を見てみると、ファンキーなソファーがあるではないか!少し元気をもらった!

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 まずは夕食。ホテルのメインダイニングでいただくことに。ちょうどその時、携帯が鳴った。今回の旅行の添乗員からであった。「朝原さん!いまどこですか〜?」「ヘルシンキだよー!」「えっっー!えっー!えーーー!」事の次第を話し、明日の夜11時頃にはブレッド湖に着く予定であることを伝えた。
 夕食をとりながら、もう少し早くブレッド湖に到着できる方法はないかと、地図を広げて由美子と二人無い知恵を絞っていた。「なるほどベネチアまでは飛行機で2時間だ。そこからブレッド湖までは陸路で250km、ほとんど高速道路だから3時間も見とけば大丈夫かも!?」「おおー!朝6時50分発のベネチア行があるではないか!昼頃には到着できるかも!」夕食も途中で切り上げ、再度空港のカウンターへ。コペンハーゲン経由リュブリアナ行きをベネチア行に変更してもらった。
 添乗員に電話、翌日の朝9時にベネチア空港にハイヤーを手配してもらいホテルのバーで乾杯!

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 「あつものに懲りてなますを吹く」は「痛い目に遭うと、とても用心深くなる」事のたとえだが、翌朝、私たちはDeparture timeの2時間前にはゲートにいた。
 12年ぶりのベネチアは快晴。空港では、かなりイケテルお兄さんが出迎えてくれた。なんでもリュブリアナのハイヤーで、朝早くから来ていただいたようだ。車はベンツのワンボックスで、とても快適。そこへまた、添乗員からの電話。ハイヤーに無事乗れたかどうかを確認する目的のようだ。「いやー、べネチアはいいね!予定変更して、僕らはベネチアで遊ぶことにしたよ!」「朝原さん、それだけはやめてください!」と泣きを入れている。「うそ、うそ!順調にブレッド湖へ向かっているよ!」と伝えた。
 途中一度トイレ休憩をして、めでたくツアーの昼食に間に合ったのであった!

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ブレッド湖

 ブレッド湖畔に建つVilla Bled。旧ユーゴスラビアのチトー大統領の別荘を改築したものだそうだ。ブレッド湖とブレッド島にたつ聖母被昇天教会を一望できるテラスに、昼食のテーブルは用意されていた。   

 「ご心配とご迷惑をおかけした」ことをお詫びして席に着いたところに、ツアーの長老から「なんや、やんちゃなことをするから、てっきり八尾の不動産屋かなんかと思とったら、神戸の顔しとる」と褒めて?いただいた。と同時にテーブルは一気になごんだ雰囲気となり、楽しい食事となった。メニューはスープ、スモークサーモンの前菜、メインはブレッド湖で獲れた鱒のグリル、デザートはクリームシュニッテ。どれもおいしく頂きましたが、量が半端じゃない!

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 ツアーは午前中にブレッド島とブレッド城を散策し、午後はブレッド湖畔を自由散策することになっていた。が、私たち二人だけは、昼食後にブレッド城を案内していただけることとなった!大きな観光バスに運転手と現地ガイドと私たち2名だけという、ちょっと奇妙でやや盛り上がりに欠けるツアーが始まった。
 ブレッド城はスロベニア最古の城の一つ。城からはブレッド湖が一望でき、その眺望は圧巻である。城内には、レストラン・土産物屋・ワインセラー・活版印刷所や博物館もある。博物館では、青銅器時代からのブレッドの歴史を伝えている。

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 活版印刷所では、ブレッド城訪問の証明書を作ることができる。当方のお好みに合わせて、お兄さんと一緒に作れるようになっている。

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 ホテルは湖畔に建つGrand hotel Toplice。チェックインを済ませ部屋へ案内されたのだが、部屋のドアーには部屋番号はなく、privateとだけ書いてあるではないか!入ってびっくり、リビングルームは30畳程もあろうか?大きな円卓とソファーがある。隣は書斎で20畳ほどか?ベッドルームも25畳以上の広さ。ベランダに出てみると、ブレッド湖かぶりつきとなっており、目の前にブレッド城が。ベランダもとても広く、テーブルが2セット置いてある。
 スウィートルームであることは承知していたが、これほどのものは想像もしていなかった!狐につままれたような、、、

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 夕食はホテル内のGrand restaurant。「アルプスの瞳」と呼ばれるブレッド湖を眺めながら、イタリアンをいただいた。メニューは生ハムとチーズ・手長海老のパスタ・ポークグリル・クレームブリュレとプラムアイス。まだ日があるうちに夕食は始まったが、メインの頃には夕日に包まれ、デザートが終わるころには夜の帳が下りようとしていた。刻々と変化するブレッド湖の景色を、ワインとともに楽しんだ。

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 レストランから部屋へ戻る途中、廊下の右側にポートレイトと短い紹介の文章が20数枚あることに気付いた。トランプ夫妻・エドワード王子・昭和天皇皇后陛下・小澤征爾などなど、、、どうもこのprivate roomに宿泊した要人が紹介されていたのだ。
 「ん!狐につままれたわけではなさそうだ!」「何か訳がありそうだ!」二泊のスイートルームの料金を払っている私たちが、一泊しかできないことを憐れんだホテルが、特別にこの部屋を用意してくれたのかも知れない。感謝感謝!

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 朝食はブレッド湖を眺めながらテラスで。どこの朝食も似たようなものだが、特筆すべきことが一つあった。ゆで卵がむちゃくちゃ美味いのである。この地方の地鶏の生む卵は、ちょっと違う!3個食べた!美味かった!

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スロベニアとクロアチアの旅 その2(リュブリアナ〜ザグレブ)

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ポストイナ鍾乳洞

 朝食が終わるとブレッド湖畔を散策し、その後はいよいよバスでポストイナ鍾乳洞へ。200万年の悠久の時をかけてピカウ川の地下水流によって形成されたポストイナ鍾乳洞は、ヨーロッパ最大の規模を誇り総延長は20 km以上に及ぶ。この鍾乳洞の存在は13世紀ころから知られていたが、1819年皇太子であったフェルディナンド一世の訪問により世界に広く知られるようになった。

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 現在の観光コースは約5 kmで、入口側の3.7 kmはトロッコ風電車で観覧するようになっている。会議ホールと呼ばれる広場で電車を下車した後は徒歩となる。
 「鍾乳洞の女王」とも呼ばれるこの洞窟には、様々な色や形をした鍾乳石や石筍せきじゅんを見ることができる。それぞれの鍾乳石には名前が付けられており、ダイヤモンドのように輝く「ブリリアント鍾乳石」や向こうが透けて見える「カーテン」、その名もずばり「スパゲッティ」などなど。鍾乳石は上から下に向かって成長するのに対し、石筍は地面から上方に向かって成長する。鍾乳石が1 mm成長するのに10〜30年を要するそうだ。
 大自然が生み出す素晴らしい芸術を鑑賞できることは旅の醍醐味であり、人生の喜びでもあるが、同時に「人が対峙する大自然を畏怖する」気持ちを強くさせるようだ。

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 ポストイナ鍾乳洞には、暗闇の世界に見事に適応した100種類以上の珍しい生物が生息しているという。
 その中でも最も有名なのが、「ドラゴンの子供」と信じられていたホライモリ(Proteus Anguinus)。その昔、豪雨の後ホライモリが洞穴から流れ出てくる。この洞穴の地下にはドラゴンが住んでおり、ホライモリはドラゴンの子供だとする説が生まれたそうだ。
 ホライモリは、目は退縮し、外鰓を持つ両生類だが、目以外の感覚器官が非常に発達しているという。嗅覚・味覚・触覚以外に弱い電場や地磁気を検出する能力もあるそうだ。

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リュブリアナ旧市街

 スロベニアの首都、リュブリアナ旧市街を歩いて散策。
 リュブリアナは500年にわたる神聖ローマ帝国の支配の後、オーストリア・ハンガリー帝国に組み込まれ、ハプスブルグ家のもとで発展を遂げた。リュブリアナの語源は諸説あるが、スラブ語で「最愛の」を意味するリュブレーナであるとする説が最もふさわしいと思われる、街である。町のシンボルはリュブリアナドラゴンで、ドラゴンは力と勇気を現わしているそうだ。ドラゴンはリュブリアナの紋章にも描かれており、リュブリャニツァ川にかかる「竜の橋」は最も人気のある観光スポットの一つとなっている。

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Esplanade Zagreb

 リュブリアナからバスでクロアチアの首都ザグレブへ。
 ホテルはザグレブ中央駅に隣接するEsplanade Zagreb。1925年、オリエント急行の乗客のために建てられた格調高いホテル。アガサクリスティーのご主人は考古学者で、夫妻はオリエント急行とこのホテルを何度も利用したという。「オリエント急行殺人事件」はそうした中で生まれたそうだ。
 この日の夕食は、ホテルのメインレストラン「Zinfandel」。メニューは前菜とチーズパイ・スズキのグリル・チョコレートタルトとパンナコッタ。どれもおいしく頂飽きました。
 食事の後は、バーで夜のザグレブを満喫。

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 このホテルの朝食は、とても素晴らしい!
 名前を忘れてしまったが、バンズの上にベーコンエッグを載せて、その上から超たっぷりのチーズをかけて焼いたお料理。これが、一皿に二つのっかって出てくる。由美子は余裕で完食していた!とても気に入ったようで翌日もorderしていた。この料理は超お薦めですぞ!行かれた際には、是非、お試しあれ!

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プリトゥヴィツェ湖群国立公園

 ザグレブから南へ110 kmに位置するプリトゥヴィツェ湖群国立公園へ。この日はあいにくの雨模様。ちょっと気持ちも下がりぎみであったが、トイレ休憩で元気復活。なんと、レストラン脇の小屋で、豚と羊が丸ごと一匹、くるくると回転しながら焼かれているではないか!添乗員さんに、予定を変更してここで「あの丸焼きを食べようよ!」と提案したが、却下された。うしろ髪を引かれつつバスへ。ちなみに、子豚の丸焼きはこの地方の名物だそうだ。

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 プリトゥヴィツェ湖群国立公園では、標高650 mの高さにある湖を筆頭に次々と滝が流れては湖を形成し、標高差150 mの間に大小16の湖と92か所の滝を見ることができる。エメラルドグリーンのプリトヴィツェ川は、森を蛇行するうちに微妙にその色合いを変化させている。
 雨のプリトゥヴィツェ湖群国立公園も悪くはないが、今度はピカピカの晴れた日に見てみたいものだ!

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 園内最大の湖であるコジャック湖を電動ボートで遊覧。プリトゥヴィツェ湖群国立公園は上湖群と下湖群に分けられるが、コジャック湖は上湖群の最大の湖。全長2.3 Km、深さ46 mもあるそうだ。
 因みにコジャックとは山羊のこと。昔の冬のある日、山羊が凍った湖で遊んでいたが、氷の裂け目から湖に落ちたそうだ。この出来事からコジャック湖と呼ばれているという。
 静かに進む船から幻想的な風景を眺めていると、20分ほどで対岸に到着した。

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ザグレブ市街

 この日の夕食は、ザクレブ市内のミシュラン一つ星レストランのイタリアンGallo。円卓を囲んでの食事は賑やかで、とても楽しい。メニューは、前菜はブルスケッタとシーフードと生ハムのサラダ仕立て、イカ墨パスタのトリュフのせ、メインには僕はサーモン、由美子はアンコウをチョイス。デザートはアイスクリーム。どれもとても美味しいだけではなく、いつも食べているイタリアンとは異なる、なんだか、とても新鮮な感覚がした。イタリア料理はどこで食べても大差ないように思っていたが、ところ変われば、お店が変われば全く違うものにもなるようだ。余談だが、以前ウィーンのオペラ座の裏手にある超有名イタリアンで食事をしたが、バターと生クリームたっぷりの「こってりイタリアン」には閉口した。

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 今夜もホテルのバーで!添乗員さんと現地ガイドさんを誘い、4人で乾杯!

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 この日の午前中はザクレブ市街を観光。まずは歩いてザグレブのシンボルである聖母被昇天大聖堂へ。

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 ザグレブの胃袋と言われるドラツ青果市場その周辺。朝からビールのおじいさんも。

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 ダウンタウンとアッパータウンを結ぶ、全長わずか66 mの世界一短いケーブルカー。アッパータウンの西側に建つ聖マルコ教会はグラデツ地区の象徴的な建物。屋根には2つの紋章がデザインされている。向かって左側がクロアチア王国・ダルマチア地方・スロべニア地方を表わす紋章で、右側がザグレブ市の紋章だそうだ。

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 この地域は中世にはグラデツという王国自由都市で、城壁で囲まれていた。グラデツの入り口であった「石の門」の内部には聖マリアの礼拝堂がある。1731年の大火で城門が焼け落ちたが、この聖母マリア像だけは無傷であったと伝えられている。世界中からの巡礼者が絶えない聖地となっている。

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 クロアチアはネクタイ発祥の地。戦地に赴く恋人の首に赤いスカーフをまいたのが最初だ。
 30年戦争(1618〜1648)では、クロアチアの兵士たちもこの悲劇に巻き込まれたが、クロアチア領主のヴィッツエ・ロイ指揮下で転戦し、ついにパリへ入城した。クロアチアの軍装は美しいスカーフを首に巻く伝統的なスタイル。このおしゃれなクロアチア・スタイルがフランス国民を虜にした。これを見た、おしゃれに敏感なフランスのルイ14世もとても気に入り、お抱えのテーラーに最高級のものを作らせたそうだ。その後、ネクタイはイギリスへ渡り、現在の形に進化した。
 ヨーロッパではネクタイのことを「Cravat」(クラヴァット)と呼ぶが、これはクロアチア人を意味する「Croat」(クロアト)に由来しているそうです。
 ネクタイをお土産にしようとザグレブ市街のネクタイ専門店へ入ってみたが、残念ながら気に入るものはありませんでした。

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 昼食は、考古学博物館近くの郷土料理レストランVinodol。メインはビーフの煮込みだが、とても美味しかった。実は、今まで煮込んだ肉は大嫌いだったのであるが、初めておいしく頂いた!僕は馬肉が大好きなのだが、後で気づいみると、あの旨さは牛ではなく馬であったのでは?
 食事のあとは、ザグレブ空港からいよいよ、ドゥブロヴニク空港へ!

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スロベニアとクロアチアの旅 その3(ドゥブロヴニク)

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ドゥブロヴニク

 ザグレブ空港からドゥブロヴニクまでは、わずか55分。昼過ぎにはドゥブロヴニクに到着。
 ホテルは旧市街のすぐ東の海岸線にあるHotel Excelsior Dubrovnik。英国女王エリザベス二世も宿泊したという。部屋のテラスから見える城壁と旧市街の美しさは、ため息ものだ!

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 ホテルで少しくつろいだ後は、旧市街入り口の一つピレ門の前の広場に面するレストランNautikaへ。旧市街とアドリア海を見下ろせるロケーション。少しおしゃれをして、二階のピアノのある大きな部屋のテーブル席。
 一品目はメチャクチャうまいソースといただくグリッシーニ。二品目の前菜のマグロのタルタルは、初めてのおいしさ!小さな目が、かなり大きくなっちゃいました!ブルスケッタの後、これがまた凝ったメチャウマの一品。スズキのタタキの周りに緑のハーブソース。そこへ熱々の特製ブイヨンスープを注ぐのである。見ているだけでもよだれものですが、、、これはもう筆舌に尽くせないうまさ!メインは二皿。一つ目はミディアムレアで焼いたマグロのフィレをごぼうペーストでいただくのである。この料理はアドリア海の宝と言っていい!二品目は仔牛のフィレのロースト。これまた最高のお肉であることは違いないが、また火のとおり方がメチャクチャ最高なのである。
 料理ごとにワインを選んでくれるが、最高の料理に上機嫌になっており、いささか飲みすぎてしまった。デザートは、スイートワインゼリーとオレンジクリームのミルフィーユだが、残念ながら僕はあまり覚えていない。由美子の話では、これも超絶妙のおいしさであったらしい。

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 朝方4時頃に目覚めてしまいテラスに出てみた。当然外はまだ暗い。旧市街の方角を見て驚愕した!太陽はオレンジ色に輝いているのに、周りは真っ暗なのである!おぉー、これは天変地異に違いない!慌てて由美子を起こした。

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 一眼レフとスマートフォンで何枚も写真を撮ったが、とってるうちに「あー、なんだこれは月じゃないか」と気づいた。「しかし、こんなオレンジ色の月があるものだろうか?」「天変地異でないにしても、これは奇跡だ」と、また何枚も写真に撮った。写真には肉眼でみたオレンジ色はうまく出ていないが、しばし「なぜオレンジ色なんだろう?」とテラスのベンチで煙草をくゆらせながら考えた。

 「そうか!東の水平線のすぐ下には、今にも昇ろうとする太陽がいる。私の目には太陽は見えないが、太陽の光はすでに上空の大気を照らしている。大気中の塵に反射した光は月を照らしている。月に反射した光のうち波長の短い青い光は、塵に当たり乱反射して私の目には届かない。波長の長い赤い光線は乱反射されずに私の目に映っているのである。」「ふむ、ふむ。おいらの頭も捨てたものじゃない」と少し鼻を高くしていたのだが、「なーんだ、夕日が赤いのと同じではないか!」と気づき、やや意気消沈。しかし、「それでは、なぜ、いつも見る月よりも、こんなにも赤く見えるのか?」の問いの答えはまだ見つけていない。

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 本日もクロアチア晴れ!朝食はアドリア海と旧市街を眺めながら。ここでも卵がうまい!

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 朝食の後はロープウェイでスルジ山へ。標高412 mのスルジ山の山頂からは、紺碧のアドリア海に浮かぶドゥブロヴニクの旧市街が一望できる。街をぐるりと囲む堅牢な城壁にぎっしりと詰まったオレンジ色の屋根が、目に痛いほど美しい。なるほど、「アドリア海の真珠」である。イギリスの劇作家バーナード・ショウは、友人にあてた手紙の中で「地上の楽園を見たければ、ドゥブロヴニクへおいでなさい」と書いたそうだ!

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 玄関口であるピレ門から入ると、旧市街の目抜き通りであるプラツァ通り。まず左手にフランシスコ修道院がある。かつては病人を癒した修道院で、中にはヨーロッパで三番目に古いとされる薬局もある。当時の教会は病院でもあったのだ。
 教会を出てぶらぶら歩き始めると、通りの両側には銀行・旅行社・ショップやカフェが建ち並ぶ。正面はルジャ広場で、その周囲はスポンザ宮殿や聖ヴラホ教会に囲まれ華やいだ雰囲気。これを右に曲がれば、旧総督邸や大聖堂がある。

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 旧総督邸近くに旧港があり、クルーズ観光船が出ている。旧市街沖のロクルム島を一回りする小一時間のミニクルーズを楽しんだ。
 かつては海洋独立国家であったドゥブロヴニクが堅牢な城壁に囲まれているわけは、海から見ると頷ける。
 ドゥブロヴニクの誕生は614年。西ローマ帝国が崩壊し、難を逃れてきた人々が移り住んだのが始まり。12世紀にはべネチア共和国の支配を受け、13世紀にはハンガリー王国の宗主権下に入り、14世紀にはオスマン朝にも貢納金を納めていた。その後17世紀まで海洋貿易で最盛期を迎えるのであるが、その間には幾多もの大小の戦闘を降り越えてきたのであろう。城壁の傷跡とあちらこちらに見える砦が教えてくれる。

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 クルーズから戻ると、港の見えるレストランのテラス席で休憩。
 生ガキとアンチョビを頂きながら、ビールでのどを潤した。カキは少し小粒だが、その味と風味はとても濃いい!アンチョビは何でこんなにうまいのか?!

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 大聖堂の宝物殿を見学した後は、お待ちかねのランチ。レストランはアドリア海のシーフードを食べさせるKlarisa。手長海老とムール貝のワイン蒸し、シーフードパスタ。

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 昼食後は城壁に登って空中散歩。一周2キロほどの城壁を歩きながら、アドリア海から吹くそよ風を体に受ける。目に映るのは、真っ青な空と紺碧のアドリア海とオレンジ色の屋根瓦。

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 旧市街の大通りから一歩入ると、そこには小さな素敵な路地裏がある。中世から続く人々の暮らしを肌で感じることができる。

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 ホテルへ戻り夕食までの間、ビーチサイドデッキへ。ちょうど大潮で、アドリア海の波が打ち寄せていた。

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 この日の夕食は、Hotel Excelsiorの地中海料理レストランで。
 小エビのサラダと前菜はトウモロコシのムース仕立て・ラタトウイユがけ。メインはカジキマグロとイカのグリル・シーフードリゾット添え、デザートはチョコレートムース・焼いたパイナップル添え。
 食事の後は、海に張り出したデッキのバーへ。カクテルを傾けながら、目に入るのは月に照らされたアドリア海。海かぜが、少し酔った体に心地よい。西の方向には、旧市街の煌煌とした明かりがその賑わいを伝えている。

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 目が覚めると、またも快晴!残念ながら、ドゥブロヴニク空港からヘルシンキ経由で帰国する。朝食をすませて名残を惜しみながら、旧市街まで散歩。

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再びヘルシンキ空港

 ヘルシンク空港では、関空行きは羽田行きよりも30分ほど早く出発だ。ツアーのお仲間は、私たちがゲートから飛行機に搭乗するのを見届けてくださった!

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あとがき

 今回の旅行では、はなから大失敗をやってしまった。ツアーの皆様には、ご心配とご迷惑をおかけしたことを陳謝するとともに、にも拘らずやさしく楽しくしていただいたことに感謝いたします。
 今回の旅も「見どころ満載」、であった。あこがれのドゥブロヴニクは僕の中では五つ星。今度はクロアチアのアドリア海沿岸の街、北からポレチ・ロヴィニィ・リエカ・ザダル・シベニク・スプリット・ドゥブロヴニクそしてモンテネグロのコトルを旅してみる予定だ。少し先になるだろうが、今からとても楽しみだ!

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