
ポストイナ鍾乳洞
朝食が終わるとブレッド湖畔を散策し、その後はいよいよバスでポストイナ鍾乳洞へ。200万年の悠久の時をかけてピカウ川の地下水流によって形成されたポストイナ鍾乳洞は、ヨーロッパ最大の規模を誇り総延長は20 km以上に及ぶ。この鍾乳洞の存在は13世紀ころから知られていたが、1819年皇太子であったフェルディナンド一世の訪問により世界に広く知られるようになった。


現在の観光コースは約5 kmで、入口側の3.7 kmはトロッコ風電車で観覧するようになっている。会議ホールと呼ばれる広場で電車を下車した後は徒歩となる。
「鍾乳洞の女王」とも呼ばれるこの洞窟には、様々な色や形をした鍾乳石や石筍を見ることができる。それぞれの鍾乳石には名前が付けられており、ダイヤモンドのように輝く「ブリリアント鍾乳石」や向こうが透けて見える「カーテン」、その名もずばり「スパゲッティ」などなど。鍾乳石は上から下に向かって成長するのに対し、石筍は地面から上方に向かって成長する。鍾乳石が1 mm成長するのに10〜30年を要するそうだ。
大自然が生み出す素晴らしい芸術を鑑賞できることは旅の醍醐味であり、人生の喜びでもあるが、同時に「人が対峙する大自然を畏怖する」気持ちを強くさせるようだ。





ポストイナ鍾乳洞には、暗闇の世界に見事に適応した100種類以上の珍しい生物が生息しているという。
その中でも最も有名なのが、「ドラゴンの子供」と信じられていたホライモリ(Proteus Anguinus)。その昔、豪雨の後ホライモリが洞穴から流れ出てくる。この洞穴の地下にはドラゴンが住んでおり、ホライモリはドラゴンの子供だとする説が生まれたそうだ。
ホライモリは、目は退縮し、外鰓を持つ両生類だが、目以外の感覚器官が非常に発達しているという。嗅覚・味覚・触覚以外に弱い電場や地磁気を検出する能力もあるそうだ。

リュブリアナ旧市街
スロベニアの首都、リュブリアナ旧市街を歩いて散策。
リュブリアナは500年にわたる神聖ローマ帝国の支配の後、オーストリア・ハンガリー帝国に組み込まれ、ハプスブルグ家のもとで発展を遂げた。リュブリアナの語源は諸説あるが、スラブ語で「最愛の」を意味するリュブレーナであるとする説が最もふさわしいと思われる、街である。町のシンボルはリュブリアナドラゴンで、ドラゴンは力と勇気を現わしているそうだ。ドラゴンはリュブリアナの紋章にも描かれており、リュブリャニツァ川にかかる「竜の橋」は最も人気のある観光スポットの一つとなっている。




Esplanade Zagreb
リュブリアナからバスでクロアチアの首都ザグレブへ。
ホテルはザグレブ中央駅に隣接するEsplanade Zagreb。1925年、オリエント急行の乗客のために建てられた格調高いホテル。アガサクリスティーのご主人は考古学者で、夫妻はオリエント急行とこのホテルを何度も利用したという。「オリエント急行殺人事件」はそうした中で生まれたそうだ。
この日の夕食は、ホテルのメインレストラン「Zinfandel」。メニューは前菜とチーズパイ・スズキのグリル・チョコレートタルトとパンナコッタ。どれもおいしく頂飽きました。
食事の後は、バーで夜のザグレブを満喫。




このホテルの朝食は、とても素晴らしい!
名前を忘れてしまったが、バンズの上にベーコンエッグを載せて、その上から超たっぷりのチーズをかけて焼いたお料理。これが、一皿に二つのっかって出てくる。由美子は余裕で完食していた!とても気に入ったようで翌日もorderしていた。この料理は超お薦めですぞ!行かれた際には、是非、お試しあれ!




プリトゥヴィツェ湖群国立公園
ザグレブから南へ110 kmに位置するプリトゥヴィツェ湖群国立公園へ。この日はあいにくの雨模様。ちょっと気持ちも下がりぎみであったが、トイレ休憩で元気復活。なんと、レストラン脇の小屋で、豚と羊が丸ごと一匹、くるくると回転しながら焼かれているではないか!添乗員さんに、予定を変更してここで「あの丸焼きを食べようよ!」と提案したが、却下された。うしろ髪を引かれつつバスへ。ちなみに、子豚の丸焼きはこの地方の名物だそうだ。



プリトゥヴィツェ湖群国立公園では、標高650 mの高さにある湖を筆頭に次々と滝が流れては湖を形成し、標高差150 mの間に大小16の湖と92か所の滝を見ることができる。エメラルドグリーンのプリトヴィツェ川は、森を蛇行するうちに微妙にその色合いを変化させている。
雨のプリトゥヴィツェ湖群国立公園も悪くはないが、今度はピカピカの晴れた日に見てみたいものだ!





園内最大の湖であるコジャック湖を電動ボートで遊覧。プリトゥヴィツェ湖群国立公園は上湖群と下湖群に分けられるが、コジャック湖は上湖群の最大の湖。全長2.3 Km、深さ46 mもあるそうだ。
因みにコジャックとは山羊のこと。昔の冬のある日、山羊が凍った湖で遊んでいたが、氷の裂け目から湖に落ちたそうだ。この出来事からコジャック湖と呼ばれているという。
静かに進む船から幻想的な風景を眺めていると、20分ほどで対岸に到着した。



ザグレブ市街
この日の夕食は、ザクレブ市内のミシュラン一つ星レストランのイタリアンGallo。円卓を囲んでの食事は賑やかで、とても楽しい。メニューは、前菜はブルスケッタとシーフードと生ハムのサラダ仕立て、イカ墨パスタのトリュフのせ、メインには僕はサーモン、由美子はアンコウをチョイス。デザートはアイスクリーム。どれもとても美味しいだけではなく、いつも食べているイタリアンとは異なる、なんだか、とても新鮮な感覚がした。イタリア料理はどこで食べても大差ないように思っていたが、ところ変われば、お店が変われば全く違うものにもなるようだ。余談だが、以前ウィーンのオペラ座の裏手にある超有名イタリアンで食事をしたが、バターと生クリームたっぷりの「こってりイタリアン」には閉口した。





今夜もホテルのバーで!添乗員さんと現地ガイドさんを誘い、4人で乾杯!


この日の午前中はザクレブ市街を観光。まずは歩いてザグレブのシンボルである聖母被昇天大聖堂へ。




ザグレブの胃袋と言われるドラツ青果市場その周辺。朝からビールのおじいさんも。




ダウンタウンとアッパータウンを結ぶ、全長わずか66 mの世界一短いケーブルカー。アッパータウンの西側に建つ聖マルコ教会はグラデツ地区の象徴的な建物。屋根には2つの紋章がデザインされている。向かって左側がクロアチア王国・ダルマチア地方・スロべニア地方を表わす紋章で、右側がザグレブ市の紋章だそうだ。



この地域は中世にはグラデツという王国自由都市で、城壁で囲まれていた。グラデツの入り口であった「石の門」の内部には聖マリアの礼拝堂がある。1731年の大火で城門が焼け落ちたが、この聖母マリア像だけは無傷であったと伝えられている。世界中からの巡礼者が絶えない聖地となっている。


クロアチアはネクタイ発祥の地。戦地に赴く恋人の首に赤いスカーフをまいたのが最初だ。
30年戦争(1618〜1648)では、クロアチアの兵士たちもこの悲劇に巻き込まれたが、クロアチア領主のヴィッツエ・ロイ指揮下で転戦し、ついにパリへ入城した。クロアチアの軍装は美しいスカーフを首に巻く伝統的なスタイル。このおしゃれなクロアチア・スタイルがフランス国民を虜にした。これを見た、おしゃれに敏感なフランスのルイ14世もとても気に入り、お抱えのテーラーに最高級のものを作らせたそうだ。その後、ネクタイはイギリスへ渡り、現在の形に進化した。
ヨーロッパではネクタイのことを「Cravat」(クラヴァット)と呼ぶが、これはクロアチア人を意味する「Croat」(クロアト)に由来しているそうです。
ネクタイをお土産にしようとザグレブ市街のネクタイ専門店へ入ってみたが、残念ながら気に入るものはありませんでした。


昼食は、考古学博物館近くの郷土料理レストランVinodol。メインはビーフの煮込みだが、とても美味しかった。実は、今まで煮込んだ肉は大嫌いだったのであるが、初めておいしく頂いた!僕は馬肉が大好きなのだが、後で気づいみると、あの旨さは牛ではなく馬であったのでは?
食事のあとは、ザグレブ空港からいよいよ、ドゥブロヴニク空港へ!



